すぽっとらいと

2015年7月

夢志記 

生き活きするために

柴田 康造


  私は社会に出てからも仕事の環境や条件は誰かが用意してくれるもの、楽しいかどうかは、それ次第だと思っていた。

そのため思い通りに行かない時や人との関係で問題があると「自分は運が悪い。不幸だ」とふて腐れていた。

数年経ち社内行事や業務を通じて、目標に向け自分で考え意思を持って進める機会があった。今までよりエネルギーが必要で大変だったが楽しかった。

仕事の楽しさや充実感は、自分の考えとリスクと責任を負う覚悟がなければ味わえないのだと少し分かった。それでも普段は「やらされている感」が大半だったので、「自分はなぜ働いているのか」「今、行なっている事に意味があるのか」と疑問を持つことはあっても、それ以上考えることをしなかった。

 30歳の時、父が旅先で突然帰らぬ人となった。

初めて身近な人の死に直面し戸惑ったが、葬儀に参列して下さった方々の話から、私の知らない父の一面や直接語ることは無かった息子である私に対する想いを知った。

その年になるまで自分だけで生きてきたと思っていた自分が情けなかった。

長年、父親に反発しながら依存してきた自分の甘えを実感した時、仕事の中での楽しい、良かったという結果も誰かがつくり与えてくれたものであり、自ら「こうする」という意思を持ち進まない限り、喜びも充実感も得られないと氣づいた。

 自分と仲間が生き活き出来る条件をつくることは簡単ではないが、周囲の方への感謝の氣持ちと自分の意思を持ち努力してゆく。


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