第1回
1985.1.20

運動会のパフォーマンス(当時は「仮装行列」)を拡大して、自分たちの意思を表現する場があれば面白いと思い3年前に退任された鈴木常務(当時、教育部主任)が提案し、伊藤専務の励ましもあり始まったそうです。
バザーは第1回から行われ、売上金は交通遺児のために寄贈されました。

(2回以降は支店近くにある小学校等に図書カードにて寄贈)

第2回
1986.1.26

会場を第1回の港湾会館から鶴舞の勤労会館に移し開催。

この時社歌を公募し、旧社歌が誕生。
●エピソード@ 役員と管理者による劇で主役を任された社長(現会長)がセリフを出張の行き帰りに覚えていたところ、新幹線の中で偶然隣の席に居合せた「ビートたけし」さんにセリフを覚えるコツを伝授されたそうです。

第3回
1987.2.15

北・中・南の3ブロック対抗で舞台出し物、展示会、バザーなどを企画・運営。
●エピソードA ゲストとして招いた「つぼいノリオ」さんが、持ち時間を過ぎても話し続けたため、とうとう幕を下ろされてしまったそうです。

第4回
1988.2.7

舞台出し物は、「歌唱部門」と「演劇部門」に分かれていました。

第7回
1991.4.28

支店の数が増えたため、半日ではなく、1日通しての開催となり、「歌唱部門」「演劇部門」の枠がなくなりました。

第8回
1992.2.9

「展示部」から独立し、「イベント部」が発足。
バザー部部長のアイデアで「支店物産展」がスタート。

第9回
1993.2.7

10分では「起承転結」があるシナリオで自分たちの想いを伝えきれないと、舞台出し物の演技時間が延長となりました。

第10回
1994.3.6

社会貢献の一環として献血を行ない、ご来場下さったご来賓、ご家族の皆様に一服していただくためのお茶屋が始まりました。

第11回
1995.3.5

演劇が「人間とは何か」という人間性の追求をテーマに掲げたものに変化してきました。

第13回
1997.2.16

舞台出し物では舞台に上がる役者全員、舞台裏で道具のセットを行うメンバーも真剣に取り組むようになりました。

役者の演技も本格的になり、主役以外の役者もグリーンリボン賞に輝きました。

第32回
2016.11.20

第13回までに現在の基となる文化祭ができ、その後各部の中身をその年の部長・副部長が考え工夫し、様々な形に 挑戦してきました。そして・・・

スローガン「やる氣全開 自分と仲間の未来をひらこう」
河合実行委員長、渡邊副実行委員長を中心に部長副部長が決まり、9月15日に初めての部長会が行われました。
いよいよ文化祭スタートです。やる氣全開で盛り上げてゆきましょう!!


 

金山支店 小林 伸久 (こばやし のぶひさ)

 

 第28回大宝文化祭が初参加の年でした。

文化祭というと制作物を展示するイメージが強かったため、演技をすると聞いて驚いた記憶があります。

私は初舞台で主人公の母親役を演じました。子供の頃から学芸会のような人前で演技をする経験がなかったので、「私に出来るだろうか?」と心配していました。

練習や準備が進むにつれて、「寝不足だ、疲れた」などと言ってはおれず、役者はセリフ合わせ、道具係は作り物に追われていた日々を思い出します。

出勤時間も帰社時間もバラバラの中、支店内で業務以外の1つの目的に向かって取り組むことに、コミュニケーションの大切さを感じました。

どんなことでもそうですが、終えた後に氣持ちよさを味わえるように、今年も氣を入れて取り組んでいます。

 

西春支店 松浦  進 (まつうら すすむ)  

 入社して数年は、業務の都合上参加できませんでしたが、初めてリハーサル、本番当日を目にした時は、照明、音響、構成などが、かなり本格的だなという印象を持ちました。

その後、裏方から役者、実行委員、総括と色々な役割をやらせて頂きました。

特に総括の時は、シナリオを書く人、どのような作り物を作るかなど役割を決めることから、当日までの練習スケジュールを各担当リーダーと細かく打ち合わせました。

ゼロから何かを創り上げていくことの大変さと難しさ、そして楽しさがあり、支店全員の協力がなかったら絶対に出来ないことだと感じました。

 本番当日はそれまで練習してきたことが、うまくいった時もそうでない時もみんな笑顔になり、打ち上げでは嫌なことや大変だったことは忘れ、楽しい思い出話に花が咲きました。

 

名南支店 加藤  快 (かとう かい)

 私は前回の第31回大宝文化祭が初めての体験でした。

いきなり「役者をやって」と言われ、とてもびっくりしたことを覚えています。

「絶対に演技なんてできない!恥ずかしすぎる!どうしよう。」と思いとても嫌でした。

しかし練習が始まると、先輩方が普通に演技をしている姿を見て、さらにびっくりしました。私はセリフが少ない役でしたが、時代劇ということもあり難しかったです。

 何度も練習を繰り返すうちに恥ずかしさも薄れ、自然に演技が出来るようになってきました。

 衣装に関しては、リアルさを求めてみんなとても一所懸命作っていました。手作りであんなにリアルさを追求することに感心してしまいました。

 本番を終えた時は、ホッとした氣持ちとやりきった思いで、すがすがしかったです。

犬山支店 坂口 邦男 (さかぐち くにお)

 私が入社した時はまだ文化祭がなく、2年後に文化祭が始まりました。

当時それを聞いた時は「はぁ?文化祭!?」というのが正直な氣持ちでした。

最初は何もかもが手探りで、出しものと言えば歌がメイン、発想も創造性も乏しかった憶えがあります。

何年かして劇をする支店が増えましたが、それでも昔話や時代劇など誰もが知っている内容でした。

さらにそれから何年か経ち、自分たちでシナリオを考え演劇をする支店が出てきて、それが他支店にも広まって現在に至ります。

今考えると始めの頃はレベルも低かったですが、その時はそのレベルで頑張っていたと思います。

 私は制作中心でしたが、作り物が役者を活かし、役者が作り物を引き立てる、どちらが手を抜いても良いものは出来ないとつくづく思いました。

 

大高支店 松下 満彦 (まつした みつひこ)

 「西遊記」という演劇でグランプリを受賞した第25回の大宝文化祭が、私にとっての初体験です。

最初にびっくりしたのは、大道具・小道具、衣装、音響、そしてシナリオまで!!全てみんなで創り上げているということでした。

私は役者の1人として舞台に立ちました。あの時はすごく照れくさかったです。

学生を卒業してから文化祭や演技をすることが初めてでしたが、仲間のおかげで無事に終え、幕が下りた時はホッとしました。

表彰式で大高支店がグランプリをとった時は、最高に嬉しかったです。支店のみんなの力が1つになって、自分もその中の1人になれたことが誇らしく感じました。

 始めは・・・ですが、最後は笑顔の良い思い出です。

 

岡崎支店 中村 文彦  (なかむら ふみひこ )

 「初めての文化祭」というテーマとは少し違いますが、昨年の文化祭で人生初の女装をしました。役柄は“結婚できないネガティブ思考の女性”でした。

 業務が終わってからみんなで練習をする時に、女性役ということに少し抵抗がありましたが、色んな人からアドバイスを頂き徐々に慣れていきました。

練習中に初めてウィッグを着けた時は、仲間から大笑いされましたが、日に日に違和感がなくなっていきました。

 また本番当日に化粧をすると周囲からは悲鳴にも近い笑いが起きたことを今でも憶えています。

今でも当時の写真を見返すと、自分でも困惑と苦笑いが込み上げてきます。

 色々な経験を通してやれば出来ること、諦めずに恥ずかしがらずに、今後も色んな役を演じられるように日頃から情報収集をしていきます。

春日井支店  山田 浩輝 (やまだ ひろき)

 前回の第31回大宝文化祭に初めて参加させて頂きました。

何も分からないまま劇で役に挑戦することになり、一気に緊張と不安が高まったことを思い出します。

 シナリオが渡され練習が始まると、練習とは思えないほどの迫力の演技、一つひとつの場面ごとに止めて細かな演出や指導、突然のアドリブに先輩方の氣合やすごさを感じました。私はついていくのが精一杯でしたが、一つの作品をみんなで協力し意見を出し合い、時にぶつかったり笑い合いながら作る素晴らしい時間を過ごすことが出来て、いつしか自分の中の緊張や不安もなくなっていました。

 本番も無事に終えることができ、改めて仲間同士の絆やお互いを支え合う心の大切さを感じました。

 

四日市支店 川越 善光 (かわごえ よしみつ)

 私が体験した初めての文化祭は、入社して半年頃に行われた第28回大宝文化祭です。最初は会社の行事として分からないまま練習に参加していましたが、先輩方の真剣な姿に圧倒され、主役という責任の重大さに氣づきプレッシャーに押し潰されそうになったことを憶えています。

 また支店の仲間が一丸となり、一つの目標に向かって時間と想いを共有出来た時は「やっと四日市支店の一員になれた。」と感じました。

 入賞はできませんでしたが、会社や仲間のことを知る良い機会になりました。

また私の主役以降、文化祭未経験の新人が主役をすることが伝統にもなりました。

 私の時に途絶えたグリーンリボン賞の連続受賞を、32回の文化祭ではフレッシュなメンバーに再挑戦してもらいたいと思います。

三好支店 近藤 喜己 (こんどう よしみ)

 初めての文化祭となると、今から14年前になるので正直あまり正確には覚えていませんが、一言くらいのセリフの役だったと思います。

最初、会社で文化祭があると聞いたときに、「変わった会社だ」と思いました。

練習や準備など、思っていた以上にみんなが真剣に取り組んでいたのを見て、驚いたことを覚えています。

 当日の舞台の音響や照明も本格的で、自分たちで全て創り上げていると聞き、さらに驚きました。実行委員をやらせて頂いた時は、役割や責任を明確にし、計画的に取り組んで文化祭を行う意義を体験しました。

また文化祭が始まると、支店内での会話も増えまとまりを感じます。

 最近は作り物などで参加させて頂いていますが、夜間配送や日曜業務で参加できない人が多くなってきていることが残念です。

 

本社 情報システム部 奥村 友和 (おくむら ともかず)

 入社して間もなく丸8年が経過します。

そんな私にとって初めての大宝文化祭は、折式田実行委員長と坂本副実行委員長が中心となり、開催された第25回です。

入社面接の時に文化祭の存在を聞き、大学の学園祭みたいなものだろうとイメージしていましたが、猛烈なギャップがあったことを憶えています。

演劇に向けての本格的なシナリオ作り、細部にまでこだわった大道具・小道具づくり、また時間の許す限りの演劇練習など、大の大人たちがまるで童心に返ったかのように真剣に、そして夢中になって取り組む姿勢に圧倒されました。

その後、運営各部の副部長、部長、そして節目の第30回には副実行委員長をやらせて頂きました。

 前向きに取り組めた時ほど思い入れが強く、記憶が鮮明で得るものが多かったことは言うまでもありません。

 

車輌部 加藤 善規 (かとう よしのり)

 一昨年の文化祭で「なんでだろ〜♪なんでだろ〜♪」と踊っていた加藤です。

入社当時は「文化祭?会社で?」とかなり戸惑いました。学生の時以来したことがなかったため、イメージは「お祭り」、誰かが催してくれた行事を見に行く…という感じでした。

 しかし開催日が近づき、車輌部でも準備をするにあたり、みんなで知恵を出し合って一つひとつ手作りで制作し、完成が待ち遠しくなりました。

その最中、仲間同士でお互いの仕事以外の表情や考え方などを知ることで、入社間もない私は仲間をより近くに感じることが出来ました。

また同時進行で劇の練習をしましたが、半ばで役やセリフの変更が続き、残り2週間はバタバタしましたが、それでも全てが形になった時のみんなとの達成感は格別でした。

 今年も仲間と一体感が味わえる文化祭にしていきたいです。