すぽっと らいと 9月

夢志記

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叱られ上手は学び上手

奥村 友和


 私は、叱られ下手だ。

子供のころ両親からよく叱られ、「自分で考えなさい」「あなたのために言ってるのよ」などと言われていた。

内心、「何が悪いんだ、なぜ叱られなきゃいけないんだ」と納得できない一方で、「叱られないように上手に」両親の顔色を見て行動するようになった。

例えば、勉強さえしていれば両親や先生から叱られずにすむし、成績が上がれば褒められる。それで上手くいったので「叱られることは私には無縁だ」とさえ思うようになった。
 入社した直後、なぜかよく叱られた。「どうして俺が叱られるんだ」と驚き反発し、その理由を考えず、表面上だけ繕い逃げていた。

最たる例として、挨拶が挙げられる。

挨拶は、「相手に近づき、心を開くことだ」と教えていただいた。

しかし、心を開かず無理に物理的な距離だけを縮めようとした。

近くに行っても相手の言うことを心を開いて聴いているわけではない。

聴く氣もないのに近づき叱られることを繰り返した。

その後、叱られた理由を考えなければ、ズレた考え方のままで、別の形でズレた行動に出ていることに氣づいた。
 少し学んだ今、叱られることはそのズレを知るきっかけになり、その理由を考えることが考え方と行動を正していく近道になると分かった。

それが学びの一つだと分かると、叱られることが少し有り難いと思えるようになった。学ばなければ、そのことにすら氣づけなかったと思う。

 今後も叱られることに感謝できるよう学び続け、叱られ上手になる自身の変化につなげてゆく。
            


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