自分を大切にするマナー
マナーとは単なる礼儀作法を意味するのではなく、その人の考え方、生き方そのものであり、言
ったりやったりすること全
てに現れます。年齢を重ねれば身につくもというものではなく、努力が必要です。
礼儀の「礼」で一番大事
なものが、相手に対する共
感性を持つことです。
挨拶
をしても共感性がなければ、相手を不愉快にさせます。車を運転する時も共感性があれば、割り込みたがっている人がいたら、少し待って譲ることが出来ます。それが出来ず競り合って渋滞を引き起こし、事故の危険性を高めてしまうのです。交通事情は年々悪くなっています。事故を起こす危険性を少しでも小さくするために、相手に対する共感性を高めましょう。
本来は「礼儀」と書きますが、考え方としては「義」というとらえ方もあると私は思います。義とは人間としての正しい道、行ないを意味します。何が正しいのかを自分たちで考えてみてください。マナーや礼儀のない人は、自分の都合だけ考え生きているので、年齢を重ねても周りの人から信用を得ることはなく、誰も相手にしてくれなくなります。事故をなくすのも、人間として成長するのも、やることは全く同じことであり、それが自分を大切にすることにつながります。
もの事が分かる
度合いとマナー
マナーは「道徳」にもつながります。道徳教育と聞くと、戦後の日本では「古い」「戦前の日本に戻る」と懸念する人がいますが、道徳とは「天道人徳」ということばから来ています。「天道」とは、我々の知識や技術では何ともならない、自然の摂理です。その第一が人間は必ず死ぬということです。
「人徳」とは、人間としての徳を表し、素直さ、謙虚さ、仁(相手を許容する広さ)、厳、勇氣などです。素直になれば誰もが変化、成長できるのですが、もの事が分からないゆえに、恰好をつけ見栄を張り、不都合なことは拒絶し、横柄になったり横着をするのです。
これらのことを学んで考え、自分で納得し身につける努力をすることが、マナーを身につけるということです。
自分の顔に責任を持つ
第16代アメリカ大統領アブラハム・リンカーンの言葉に「40歳になったら自分の顔に責任を持て」とあります。精神の育成度が低い人は、年齢に関係なく幼ない顔をしています。また、猜疑心の強い人はいつも目をキョロキョロしています。自分が年齢にふさわしい顔をしているかどうか鏡を見てください。顔の骨格の良し悪しではなく、自分の心、マナー、礼儀、道徳をどれだけ理解し、身についているかが表れています。
人間は過ちを犯す生き物です。「過ちを改めざることを本当の過ちと言う」という言葉の通り、自分の考え方や行動がズレていることを認め、直そうとしないことが本当の過ちです。他人の過ちも自分事としてとらえ、正すことが出来る自分をつくってゆきましょう。
類は友を呼ぶ?
『論語』の中で孔子は、付き合ってためになる友が『益者三友』、ためにならない友が『損者三友』であると言っています。
『益者三友』とは
@
剛直な人(強くて素直な人)
A
誠実な人(裏表が少なく不正をしない人)
B教養のある人
『損者三友』とは
@
易きにつく人(何でも安易な方、楽な方に流される人。"一味")
A
人当たりばかりいい人(人に嫌われたくなくて本当のことを言わない人、分からない人。「私は善人だ」と思い込んでいる人)
B
口先だけが上手い人(「分かりました」「頑張ります」「しっかりやります」が口癖の人)
誰もが『損者三友』の部分を持っ
ていますし、つき合ってはいけないという訳ではありません。お互いに分からないままでは、いくつになってももの事が分かりません。成長したいと思ったら、自分が『益者三友』になる努力と、そういう人を探しつき合うことが必要です。
今日の話も理屈で言えば簡単なことですが、分かって身につけることが難しいのです。人生をおもしろくしようと思ったら努力し、お互いに協力しあって切磋琢磨して、自分の意志で学び、働ける人間になり、事故の無い働きやすい職場をつくってゆきましょう。
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