真面目に自分自身を掘り下げるということは、自分にとって不都合なことを受け入れ、長年心にフタをしてきた「心に受けた傷」と向き合うことです。それは心の痛みを伴ない、苦しいことですので、なかなか踏み出せず、やっても途中で逃げ出してしまいます。
三好支店の三小田裕美さんは、大宝初の女性事務職員の安全委員層総括リーダーです。約七年前に教育部の門田課長と出会い、和合塾で学び始めました。時間をかけて学び続けることによって、自分自身と向き合い、子供の頃からつけてきた心の傷に氣づくことが出来ました。
人は自分のことが分かると、勇氣が出てきます。自分自身の弱さを認め、原因を探り精神の育成度を上がってくると、他人に対してもその人のことを思って、色々な働きかけが出来る様になります。その積み重ねの中で、自分自身を隠すための化粧や鎧がどんどん薄くなり、人間としての美しさが感じられる様になりました。年齢や性別を問わず、真面目に学び一所懸命努力する人は輝いています。
勇氣とは何かをやり遂げるための精神的なエネルギー。精神とはその人の全ての考え方行動のもとになるものです。よく人と喧嘩をするから勇氣があると勘違いする人がいますが、それは勇氣ではなく「蛮勇」です。自分の頭の中でもの事がつながらないから、すぐにキレて腕力を振るうのです。
精神の育成度が一定のレベルにこないと勇氣がでません。何をやっても中途半端で、すぐに感情の波に左右され、困難があるとすぐに逃げ、踏み込まなければならないところで腰が引け、本当のことが言えません。
自分自身の精神の育成が何によって抑圧されているのか、どこで止まっているのかを知り、上げてゆくために、自分自身を掘り下げましょう。
勇氣とは
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何かを攻める
A
何かを守る
B
何かを捨てる
ことです。
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前向きな変化を起こすときには、
何らかの葛藤があります。そこで「人に嫌われるのが嫌だ」と腰を引いていては何も始まりません。自分や相手が少しでも良くなるように攻めるには勇氣が必要です。
A自分や誰か、何かを守ろうとする時、勇氣が湧いてきます。皆さんは大変危険度の高い業務を行なっています。その中で一番守らなければならないものが自分自身の命と他人の命です。運転中に眠気を感じた時、車を止めて休むのも勇氣です。
Bこの三つの中で最も難しいのが
「捨てること」です。人生は何を捨ててゆくかで決まります。しかし、私たちは強欲なので、本当に要るかどうかの仕分けも出来ないまま、両手一杯に握りしめ、かえって不自由にしています。恰好をつけ、見栄を張るのも、捨てる勇氣がないからです。何でも欲しがるのではなく、「自分が欲しいものは何か、捨てていくものは何か」を仕掛けし、変化に対応できる様にしてゆきましょう。
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人生を面白くする「徳」
勇氣も人徳の一つです。人徳とは社会や会社の中で、人間として堂々と歩んでゆくために必要な徳であり、次のようなものがあります。
・智=もの事の本質、つながりが分かる
・信=約束を守る、人から信用される
・仁=人を許容できる心の広さ。自分以外の人の悲しみや苦しみが分かる
・勇=全ての行動の源泉となる、精神的なエネルギー
・厳=それがプラスにならないと思ったら、他人に対しても厳しく、自分に対してはもっと厳しい態度で臨む
・義=人間としての正しい道
・礼=単なる形式ではなく、他人の立場が分かること。また、相手に対する共感性
これらが多量にあればある程、そ
の人の所には人が集まります。そう
ではなく、お互いに目先の損得だけ
で集まる関係は、目先の損得ですぐ
に離れてしまいます。
今が面白くない人、会社に来ても
楽しくない人は、どうしても愚痴や
人の悪口が多くなります。それは自
分が生きていないからです。精神の
育成度が低ければ、人格・能力が身
につかず、日々の中で対応できなく
なってしまうのです。
自分の人生を面白くする全てのべ
ースは学ぶことです。勇氣を出して
自分自身を掘り下げ、人生を豊かに
してゆきましょう。 ?
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