2月和合塾 定例会

【テーマ】 「塾長メッセージをいただいて」


 Bグループ

金山支店  M Y

  塾長からいただいたメッセージ

良いと思うことはすぐやる 悪いと思うことはすぐやめる それが勇氣

 入社して28年、意図して人の足を引っ張ったり、悪いことをするわけではないが、会社に来て仕事をして、腹が減ったら飯を食うという生活を20年間送ってきた。その後、安全委員になり経営学習会などをきっかけに少しは変化したが、基本的にあまりものを考えず、楽なこと、やりたいことを、のほほんとやってきてしまった。
 安全委員として新人の横乗り指導をしている。会社の考え方や運転の仕方、業務のやり方などを一通り教えるが、運転の癖や話し方、態度について、もっと強く叱っておけばよかったと後悔することがある。

仲間が事故を起こさないよう、時には厳しく叱ることも必要だと分かっていても、強く言う勇氣がない。
 安全委員、整備管理者として、指示されたことはある程度できるが、自分で考えて「こうしてゆく」と言えるものがない。そんな自分がいいと思ってやっていることが、人の足を引っ張っているかもしれない。日頃からものを考え、善悪を判断し、思ったことを言えるようにしてゆく。


 Eグループ

岡崎支店  S Y

 

エネルギーを使うなら 出来ない理由より 出来る理由を考える

 入社して11年。

2年前、支店の運行管理者が退社したため、やり始めたが、分からないこと出来ないことがあると「そんなこと聞いていない」と愚図り、不都合なことがあると「何でそんなことまで」とわめき、周りの人に迷惑をかけてきた。
 昨年6月の泡影塾例会で「人生、どのみち苦労の連続」という伊藤塾長の講義を聞きハッとした。

 きっかけは別として、自分で決めたことなのに、勝手に逃げ回っていた。人に指示したりお願いすることが多い立場にいながら、人との摩擦を避けているので、誰も言うことを聞いてくれない。

自ら不安を作り出し、コソコソと落ち着かない態度をとっていた。そういう時期は、自分が何をやっていたのか、これといった記憶も印象もない。

 振り返るとさみしい1年だったが、やっと氣持ちがすっきりした。出来る理由を考えるには、「やる」という意志決定と、やりぬく意と氣概が要る。

その元になる精神の育成度について、本氣で考え高める努力をしないと、すぐ元に戻ってしまう。
 最近入社希望者の面接をし、実際に入社してみえた方々の想いを知り、前向きに頑張る姿に刺激をもらっている。食わず嫌いで尻込みしている自分が恥ずかしく、一歩踏み出す勇氣が出てくる。安全委員以外の仲間も「新しい仲間をみんなで育てよう」と頑張ってくれ、支店内に活氣がある。
 今までは重なり合わず、別々に行動し、自分だけが苦労していると思い込んでいたが、一緒にやってみることで相手の苦労や痛みが分かり、共感や「役に立ちたい」「迷惑をかけてはいけない」という氣持ちが湧いてくる。
 「今年は大丈夫か」と他支店の方からも冷やかされ、照れ笑いをしてしまうが、自分の足で立ち、元氣に働いてゆける条件をつくるため、自ら関わりを持ち、素直にみんなの力を借りて、今まで苦手としてきたこと、やろうとしなかったことに挑戦してゆく。


 Lグループ

金山支店  N M

 

人は真剣さと努力に感動する

 和合塾ではグループのサブリーダーをやらせてもらっている。

お互いに深く知り合える活動をしたいと思いながら出来ていない。日頃も支店を良くしたいと一所懸命努力している支店長や総括を見ていながら、自分では「ムリ、ムリ」と言って逃げ、怠けて甘えている。そのくせ言葉だけで恰好をつけてしまうところもある。
 そんな自分の問題点を仲間から指摘され、自分でも「今のままではいけない」と思うのだが、現状の姿を認められずにいる。このこと自体が周りに迷惑をかけていることを反省し、変わることで胸を張れる1年にしてゆく。


伊藤塾長講話

 新年会でみなさんに贈ったメッセージに対するレポートを読むと、どれも立派な内容です。メッセージから何かを感じ、考え、論理的には、みんないいところまで来るのです。それを自分の変化、成長につなげてゆくためのには、左図のような努力が必要です。





 

 

1、目ざめの落とし穴

 「眠り」とは、闇の世界が真っ暗で何も見えないのと同じで、もの事が分からないため、周りが見えない状態です。

しかし、物理的にはものが見えて、日常の業務も出来るため、「私は正しい。私は善人だ」と思い込んでいます。これを 迷妄の世界 と言います。
 それでも、自分の心が瞬間的に動く言葉や文章、行動に出合った時、ハッとして「目ざめる」ことがあり、その時は素直な心になります。

「素直さ」を、上位者に対しどんなことでも従順になることだと勘違いしている人がいますが、本当の「素直さ」とは、自分の小さな我欲、小さな面子、小さな意地、そして今までの自分の狭い知識と経験からなる先入観にとらわれないことです。それらにとらわれていると、目ざめることすら難しくなります。
 多くの人がそこで止まり、変化につなげることが出来ないのは、お互いに人間の弱さを持っているため、瞬間的な目ざめを体験すると、その状況で「もの事が分かった」と錯覚してしまうからです。

自分の本当の力量を見誤り、自分の未熟さ、阿呆さ、強欲さについて、それ以上深く考え目を向けなくなるため、自分では「分かった」と思っているのに、もの事がうまくいかず「他人は自分を分かってくれない」と愚痴り、被害者となり、思考停止となります。

 そうなるとその場を逃げ出すか、訳も分からずこわがるより仕方ありません。そして、また「眠り」の世界に戻ってしまいます。こうして「眠り」と「目ざめ」の間を行ったり来たりする状態を 水すまし と言います。

 それを繰り返す中で信頼は小さくなり、人間関係は崩れていきます。

2、 水すまし 脱出法

 人間が変化成長してゆくためには、「目ざめ」を「氣づき」にしなければなりません。そのためには、目ざめたことについて考えて、考えて、考え続けることが必要です。そうすることで論理的に分かる度合が高まってきます。
 「氣づき」を「意識」に変えてゆく=自分の心の中に落とし込んで行くためには、それを実践する勇氣と継続が必要です。そこまで行かなければ、その人の「意」ではありません。

「間違ったことを見たら指摘することが必要」と分かっていても、「人から嫌われたくない」という理由で実践できなければ、目ざめの段階で終わっているのです。だから間違ったこと、おかしいことを見て叱れる人はえらいのです。
 「意識」したことを継続し、多少の困難があってもやり続ける中で、自分の魂の中に落とし込み自分の血肉になって行きます。それを「自覚」と言います。

 メッセージには、みなさんが「眠り」から「目ざめ」に行くための刺激にして欲しいという私の願いがこめられています。目ざめた後は、本人の努力次第です。

定例会やグループ会議を活かし継続して考え、やり続けて下さい。

それが出来るとグループ活動も楽しくなります。だからこそリーダーは、メンバーの三倍から五倍の学びが必要なのです。
 自分の「意」がないということは、自分の主体がないということです。そういう人が何十人集まっても、目標を達成できる強い組織にはなりません。

大宝はおもしろい会社ですが、生かすも殺すも社員次第です。

 自ら学び、考え、実践し続け、自分の周りに一人でも前向きな影響を与えられる、より人間らしい生き方を目ざしてゆきましょう。


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