2月和合塾 定例会

【テーマ】 「 真の仲間とは 」


 G グループ

金山支店  S H

 2年前までは、一緒に遊び笑って楽しむのが仲間、自分が失敗した時は愚痴を聞き、慰めてくれるのが優しさだと思っていたので、厳しいことを言う人には近づかないようにしてきた。しかし、本当に自分自身が困った時、真剣に相談に乗ってくれたのは、ミスした時に叱り、厳しい指導をしてくれた人たちだった。

「大事な人を守りたかったら、自分が変わらなければいけない」と言われた。

親や兄弟でもないのに、自分のことをこんなに考えていてくれる人がいるのかと感激し、相手の話を素直に聞くことが出来た。
 昨年4月から安全委員になり、仲間への声かけを行なっているが、ズレた考え方や行動をしている人に対し、一歩踏み込むことが出来ない。

「善の悪」は相手のためにならないと知っていても、相手に嫌われたくない、厳しいことを求めリスクを負いたくないと、無意識に逃げ道を作ってしまっている。
 若い頃は人と一緒に感動することがほとんどなく、ドラマや映画を見ても、冷めた見方や考え方をしていた自分が、最近、内容や歌詞を自分に置き換え、感動できるようになった。

 同じ目標に向かって、出来るだけ近い価値観で一緒に喜んだり、悲しんだり、笑い合える真の仲間をつくってゆきたい。


 Hグループ

犬山支店  今井 鉄博

 安全委員、組合の執行委員として、「事故をなくそう」「こうして欲しい」と人に求め、頼むことばかり。それだけではいけない、自分にけじめをつけようと、30年以上吸い続けてきたタバコをやめた。
 大宝でお世話になって24年。自分が変わっていかないと、「仲間」と言える人はできない。仲良しこよしでワイワイできる、メシをおごってくれるから仲間なのではない。嫌なことも良いことも分かち合えるのが、本当の仲間だと思う。本当にその人のことを思って伝えないと、想いは伝わらない。
 私はもともと友達を作るのが苦手。仲良くなっても嫌われるのが怖くて、厳しいことを言うのも言われるのも避けてきた。でも人として生きている以上、誰かのために、何かのためにエネルギーを出さないと面白くない。

 今年の書き初めに「本氣」と書いた。支店で「今のままではいけない」と思っても、自分も人に言えるほど出来ていない、というところで止まっている。勇氣を出して実行してゆく。


 Fグループ

中川支店  I M

 仲間と思いたい人は、会社にも支店にも実家がある長野にもいる。もし、その人たちと縁が切れたらと想像すると、淋しくなり悲しくなる。

3週間前に電話があった友達は「酒で失敗して多くの友達を失った。今いる人を大事にしたい」と話していた。私も以前、お祖母さんが亡くなり悲しんでいる彼女に、「いつ会えるのか」と催促し、傷つけてしまったことがある。

今、思うと恥ずかしい。
 あの人といると楽しい。辛い時、悲しい時に話を聞いてもらったり、声をかけられると嬉しいと思える関係があることが幸せ。

そこで満足せず、このままでは自分や相手が不幸になるという時に氣づき、氣づかせてくれる、成長し合う関係を作りたい。より多くの人と、そういう関係を作ることができたら幸せ。


 Dグループ

三好支店  澤間 和作

 今年は仲間の輪を大きく出来る一年にしたい。

学生時代、サッカー部の仲間と、寝食を共にし苦しさも楽しさも分かち合った。20数年経った今でも2年に一度集まり、酒を飲んで騒ぎ、真面目な話も出来るのは、時には喧嘩して殴り合うこともあったが、同じ目標に向け一所懸命取り組んだからだと思う。
 お互いのことを知らず分からなければ、近づくことも信じることも出来ない。

それなのに外見だけで人を好き嫌いで判断し、それ以上近づこうとしない。

自分が踏み込むことも、相手に踏み込まれることも怖いからだと思う。時間をかけてお互いを知り、相手の良いところを見つけ認め、学び合える仲間をつくってゆきたい。何かを真剣にやろうとすると、時には衝突もある。

氣が弱くてあと一歩を踏み出すことが出来ないが、言うべき時には言える自分をつくってゆく。


伊藤塾長講話

親友、辛友、信友、心友

 親しい友、自分がズレた考え方や行動をしている時、厳しいことを言ってくれる「辛友」、信じ合える友、心の友。自分のまわりにいる人が、どういう人かを、時には考えてみることが必要です。
 目標のない人が、何人集まっても「単なる集団」です。

組織には共通の目標と価値観が要ります。エゴの固まりのような私たちが、みんながより納得できる目標を見つけることは容易ではありません。

発表にもあったように、自分が変わらなければ、集まって来る人の質も変わりません。だから学ばなければならないのです。

「一味」と「仲間」と「同志」

 仲が良いといっても次元があります。「一味」は水面=上っ面だけのつき合いです。間違ったことをして叱られた時「そんなこと氣にするな、酒でも飲んでスッキリしよう」と言ってくれる人は、一見「いい人」ですが、本当に自分のことを考えてくれている訳ではありません。相手が成長することを恐れて、無責任に慰めることもあります。その関係で満足しているうちは、自分も相手も絶対に変化しません。
 「仲間」になってゆくには、日頃の交流を通し、その人の考え方や行動の背景を知ることが必要です。そして自分と相手の精神まで、より深く分からなければ「同志」になることはできません。学び知り合う度合いによって、互いの関係は変化してゆきます。それが変化出来ないのは、「人間の器」が小さいからです。

 

 

「人間の器」を大きくする

 人間の器とは自分の「愛情」「志」「理性、知性」「ストレス耐性」に点数をつけ、線で結んだものです。この人間の器が小さければ小さいほど、お互いにエゴをむき出す「一味の関係」になり、人の役に立つことはありません。学んで自分を知り、エゴをコントロールできるようになると、やっと「仲間」が出来る器の大きさになります。志を同じくする「同志」になるには、相当人間の器を大きくする努力をしなければなりません。学んで変化し始め、いいところまで行っても、そこから変化出来ない人もいっぱいいます。それは「一味のリーダー」で終わっているからです。
 組織は基本的に内部から崩壊します。いつまでも同じ考え方で、自分のエゴだけで行動していると、自分の給料さえ保証されなくなります。組織にとって一番困るのは、ものが分からずエゴを出す「一味のリーダー」がメンバーを引っぱっていってしまう時です。そこから脱し「仲間」になる努力をすれば、本当のリーダーになり、みんなのためにもなります。仲間づくりは、人間づくり、組織づくりなのです。
 大高支店の合浦さんは、先日六〇歳になり嘱託社員になりました。その後も和合塾に出席し、グループリーダーとしても楽しんでいます。単なる一味のリーダーで満足しません。人間として義があります。だから「おもしろい男」なのです。
 今、放送されているNHKの大河ドラマ『龍馬伝』では、この国の大きな時代の転換期を支えた人たちが、何を考え、どう生きたかを描いています。これから大変な時代を迎え、人間らしく生きることも企業間の戦もますます激しくなります。私たちが自分のエゴのためだけではなく、仲間として、同志として必要な時に喧嘩が出来る男、人間にならなければ、自分や家族や組織を守ることは出来ません。学んでもの事の分かる幅を広げ、同士としてより次元の高いところで喧嘩し、仲良くしてゆきましょう。


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