すぽっとらいと

2019年12月

夢志記

 「 想 い 」

管理推進本部車輌部 係長

久保田 紀之


 私たち夫婦の父親は既に他界しているため、24歳と21歳の娘は祖母しか知らずに成長した。私の母は5年ほど前から認知症を患い特別養護老人ホームに入所していたが、面会に行くたび喜んでいる様子だった。

健康診断の結果にも異常は無く、長生きすると家族で話していた。そんな母が正月2日、誤嚥による窒息で救急搬送され、翌夜半に息を引き取った。

つい数日前まで元氣だったので、家族全員何が起きたのか受け止められなかった。

自分も悲しかったが、それ以上に悲しみに暮れる娘達に、掛ける言葉が見つからなかった。
 一人っ子の私は、いわゆるやんちゃ息子で、やりたい放題だった。

口数が少なく、怒った時だけ怖かった父に比べ、母は負けん氣が強く厳しい人で、しょっちゅう叱られた。それでも私は反抗し続け、最後は無視していた。

当時の両親が、どんな氣持ちだったのかを少し分かり始めたのは、自分が結婚し親になってからだった。「迷惑を掛けたなぁ」と反省した分やさしい氣持ちになり、親が困っている時には、素直に助けることが出来たことは救いだった。
 母の亡骸を前にして娘に語ったのは、自分ひとりで生きているのではないということ、自分の命を粗末にすれば周囲の人にも影響を与えること、更に子供が親よりも先に無くなることは一番辛いので正しく生きて欲しいということだった。

自分で語ってはいたが、それは母から私への最後の言葉だったのだと思う。


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