10月和合塾定例会 2012年10月3日(水)

10月和合塾

【テーマ】   自分の人間関係について考える
                         〜親友、辛友、信友、心友〜


Lグループ

黒川支店 成田  克也

 私は幼少期より家族(祖父母、両親、兄)で言い合いになると、どちらにもつこうとし、学校ではいじめられないように上手く立ち回っていた。

学校を出て就職した薬問屋では倉庫の仕事とルートバンでの配送をしていた。

2年で自分以外の同期が営業部へ行き、自分だけ取り残された感じがして転職を考え、いつも集荷に来る人が元氣の良かった大宝に面接に行った。
 初めて乗るトラックと人間関係に不安はあったが、温かく接してもらい安心した。

2年後に第33期経営学習会で伊藤塾長と出会った。

人間関係を良くしたいと言いながら、自分が助けて欲しい時、優しい言葉を掛けてくれる人にだけ近づき、人と交わることを避けてきた私に「人間関係が上手く行かない原因は自分にあると考えよ」と指導をいただいた。

振り返れば常に自己中心で周りのことは考えず、つながりが分からないため、柔軟さ、素直さに欠け、いつも相手が悪いと思っていた。
 信じあえる友がいなくて淋しいのに、阿呆で強欲で小心なため、相手に表面で合わせて仮面を変え、かえって親しい友は出来ない。そして、厳しいことを言う友を避けている。

人との関わりを避けて通ることは出来ず、それがなければ自分も存在出来ない。

「むずかしい」の一言で終わらせず、一人でも多くの人と交わり楽しみながら関係をつくってゆく。


Lグループ

金山支店 T J

 無所属(オブザーバー参加)、53歳の私は札幌で生まれ育ち、13年前に愛知県に来た。父が20数年前に他界してから一人暮らしだった母を、3年前に呼び寄せ一緒に住んでいる。

 母は私の心の友であり、心の支えだ。

樺太出身の母は札幌で美容師をしていた。結婚式の着付けなどを頼まれると喜んで引き受け、若い頃から見返りを求めず奉仕する人だった。

私の兄と姉は若くして病気で亡くなり、一人残った私は昔から遊びグセがあったうえに、思いつきで商売を始めてはすぐに失敗し、借金を背負い何度も母親の世話になった。

本当に申し訳ないことをしたと思っている。

今も何時に帰っても、夕飯の支度をしてくれ、話をするのが日課となっている。

 今まで苦労をかけた分、一生面倒をみてゆく。


Gグループ

大高支店 阿部 和也

 学生時代の友だちとは、その後付き合いがない。

会社勤めを始めてからも、一緒にいる時は楽しくやっても、プライベートでの付き合いはなかった。今までの人間関係は、その時々で相手に調子を合わせていただけだった。

大宝に入社して初めて、厳しいことも言ってくれる人たちに会った。びっくりしたが「言う方も辛いんだよ」と言われ、ハッとした。

夏の和合塾の合宿でも、グループメンバーから「日頃、多くの人と会話は出来ていても、浅いところで終わっているのでは?」とアドバイスをいただいた。
 今回、改めてちゃんとした人付き合いが出来ているのか考えてみた。

今でも厳しいことを言われそうな人から逃げ、私のことを知ろうと近づいてくれる人に対して「それ以上、近づかないでくれ」という氣を出し、自分からも近づかない状態だ。

大高支店には本氣で付き合って行ける人たちがいる。

 その人たちを見習って、少しずつでも変えてゆきたい。


Iグループ リーダー

春日井支店課長 富樫 博宣

 社会人となり25年、大宝に入社して23年になる。

高校を卒業し印刷会社に就職したが、人と上手く付き合えず人間関係が煩わしくなり、朝、会社に近づくと頭痛が始まり、帰る頃には元氣になるという生活を一年半続けた。

次の職場も3日、1週間、10日しか続かなかったので、父親から「今度の会社を辞めたら、家を追い出す」と言われ、大宝の募集広告を見つけた。

乗務職員なら人との接点が少なくて氣楽だ。

しかも(当時あった制度の)週休3日なら、なんとか勤まるだろうと思い、犬山支店に応募した。

運動会や文化祭に力を入れているのを見て「何の得にもならないのに何で?」と不思議だった。業務が終わってからの練習も苦痛で、何かと理由をつけてはサボり、しばらくは人にも近づかずにいた。

支店のグループで「お互いを動物に例える」という活動を行ない、大澤安全委員から「富樫はチョロチョロしているが、捕まえようと思うと逃げて行くうなぎ だ」と言われた。確かに都合が良いと近づき、都合が悪くなるとすぐ距離をとり逃げていた。
 入社半年後に先輩に誘われ和合塾キャンプに行き、初めて伊藤塾長に会った。

いつものように「おいっす」と体育会系(野球部)の挨拶をしたら、「若い奴が、偉そうにオスオス言っとんなよ!」と一喝され、びっくりした。

当時、格好をつけ態度も悪かった私に、「ビクビクするな」と指導をしてもらったのだと今は思えるが、当時は怖くて約10年間ひたすら逃げ回っていた。
 10年後に経営学習会に参加させてもらい伊藤塾長との関係が深まり、和合塾、泡影塾で学ぶようになってから、自分を大切にしたい、おもしろい人生にしたいと思い始めた。

和合塾では7年前に「自分の心の傷と育成歴」について集中して学び、私が人との距離をつめられない原因も、子供の頃の生活や親との関係にあると教わった。

私は両親と弟、祖父母、父の兄の家族という中で育った。

祖母と母と叔母さんの関係が悪く、直接喧嘩はしないのだが、それぞれがそこに居ない人の悪口や愚痴を私に聞かせた。

知らないうちに「人は陰では何を言っているか分からない、何を信じればいいのか分からない」という考え方がすりこまれ、人に近づくのが怖くなったのだと思う。
 保育園からの幼なじみとは40年付き合っているが、酒を飲みながら愚痴をこぼしたり、その場だけのおもしろい話をするだけだ。

社内の運動会や文化祭のように、一緒に何かを成し遂げたという達成感を味わったことは一度もない。

人やもの事と深く関わっていないと、自分の人生をつまらなくする。

深く関わるほど喜びや達成感が大きくなり、色々な人に支えてもらっているんだと実感出来る。今はそんな環境と条件があり、働けることが幸せだと感謝出来、おもしろい。
 学んで自分が変化すると、人との関係も変わってくる。

犬山支店で昔、愚痴を言い合う一味だった(笑)今井さんも、今では安全委員会で立派な発言をしている。きっと今井さんも、私の変化を少しは認めてくれていると思う。

 自分を知ることで人間関係をより良くし、人の痛みや辛さを自分事と思い、ストレス耐性を高め、色々な変化に対応できる力をつけてゆきたい。

 

伊藤塾長講話

 多かれ少なかれ誰もが人間関係に怖さを感じています。

しかし「人は人と交わって人間になる」というのも事実です。

先日、出版社の宝島社が新聞の見開きで「ヒトは本を読まねば、サルになる」というカラー広告を出していました。

荀子の言葉「ヒトは学んで人間になる」と同じで、人間らしく生きるために学べということを言っています。

会社や仕事がおもしろいと思えるかどうかの基本は、やはり人間関係です。

波長が合うという関係がなければ、富樫さんが言っていた様に、会社に来ると頭が痛くなり、帰る頃には元気になるという具合になります。

時には嫌なこともありますが、なるべく多くの人間と接点を持つ努力をしましょう。
1、自分を知り、深めることが人間関係の基本
 人間関係が上手くゆくかどうかは、お互いの「魂・意・志・氣」によります。

育成歴の中で身についた価値観や考え方を見直し、自分自身の新たな価値観をつくり出すことによって自分の意が生まれ、何かをやってやろうという志が出てきます。

それらが出来て大事なものが変わってくると、周囲の人が氣力や氣迫を感じるようになり、人間関係も変わってきます。
2、義なくば信なく、信なくば立たず
 我々が生きて勉強する一番のベースは、若干でも自分の中に「義」をつくることです。「義」とは約束を守る、なるべく嘘を言わない、相手の役に立つように頑張ることです。

義のない人間は、どんなに上手く言葉を使っても、周りから信用されることはありません。

何十年学んでも身につかない場合は、多少の能力があったとしても、周りからは評価されません。

頭が良いように見える人が、義が分からず、信用されないことは、意外と多いのです。

多少遅くても、目先の損得でウロチョロせず人の役に立つことを愚直にやる人は、長期戦になった場合、力を発揮します。

「愚直」になることは難しいですが、義と信を大事にして下さい。
3、本物になるための修行
 その人が本物かどうかを簡単に見分ける方法があります。

一つ目は、その人が日常の言行(言っていることと行動)が一致する方向で努力しているかどうかです。

平氣で嘘が言える人が信用される訳がありません。私たちは言行を一致させるために修行をしているのです。

二つ目は自分にとって利益にならないことを何か一所懸命やっているかどうかです。
 この二つがどの程度出来るかによって、その人が信用するに値するかどうかがわかります。

言行を一致させる努力をし、目先の損得に関係なくみんなの役に立つことで一所懸命になれる人が集まると、組織は良くなり、働きやすくなります。

逆に表と裏が極端に変わったり、180度変わる人が多ければ、組織は良くなりません。

働くことを通して、そういうことも勉強して下さい。

なるべく自分たちで考えて、自分たちで楽しみ、幸せになれる方向を常に考えましょう。

何年、何十年も考えその努力を続けることで本質の変化が表れてきます。


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