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娘から「お母さんは世間知らずでズレているから学ばなきゃね」と言われていた。職場でも仕事上のミスや人間関係で悩み、富樫主任に相談した時、和合塾への参加を勧められた。それまでは学ぶことに無関心であり、和合塾も夢にも思わない程遠い存在であったので感激した。 1月25日の和合塾新年会に出席した。初めて近くでお目にかかった伊藤塾長は、どこか懐かしくやさしくてあったかい方だった。大きく包まれる様な感動とメッセージまでいただき、最高の日だった。「勇気を出して、前向きにがんばろう」という気力が湧いてきた。 ところが学んでゆくうちに自分の中に怪物が現れてきた。ずっと自分はいい人だと思い込んでいたが、エゴの部分や他人への苛立ちを感じ、自己嫌悪に陥っていた。それは成長へのプロセスだと門田課長に教えていただき、また学ぶことが楽しみになった。 小牧営業所は今大きく変わろうとしている。大勢の仲間に活かされているという感激を忘れず、小さなことだけにこだわらず、お互いに思いやりを持って、前向きに努力してゆきたい。そして1人でも多くの人に「一緒に学ぼう」と喜びを伝えたい。 |
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誰でも「まぁ、これくらいでいいや」とそこで満足すれば、特に努力することもなく、だんだん後ろ向きになって行きます。逆に「今のままでは嫌だ。もっと成長したい」と思えば、その分本気で学び、困難からも逃げなくなるのです。 次に熱情とは、「目的・目標を達成しよう」という心の底から湧いてくる意志を意味します。図で表すと脳の上っ面(論理を司る大脳新皮質)だけではなく、その奥(感情を司る大脳辺縁系、本能を司る脳幹)からでてくるものです。
「創造の芽」は身近にある 基本的に世の中には不必要な人も不必要なこともありません。自分が勝手にそう思って粗末にしているのです。本社では昼食時に交替でみそ汁を作ってくれます。ほぼ同じ材料を使うのですが、作る人によっては味が違い、同じ人でもその時の心身の状態によって良くも悪くも変わります。それはみそ汁を作ることも創造だということを表しています。 そうじやお茶を出すことも挨拶も、身近にあることを全てが創造です。自分の意志が入れば、その一つひとつの中に気づきや学びがあり、相手に感動を与えることもできます。自分の考え方が変わるだけで、自分に気づく機会=創造の芽は沢山あります。そして、意識し実践する人たちは仕事も人間関係ももっと面白くなり、変化・成長してゆきます。 人間は複雑怪奇な生き物 和合塾で学んでいることは、人間というものを広く深く知るための材料です。この基本が分からなければいい仕事はできません。その人間とは実に複雑怪奇な生き物です。 @ 世話になってもすぐ恩義を忘れる A とても移り気。自分勝手でいつももの欲しそうな顔をしている。 B うそと自己弁護の天才である。 C リスク(自分が損をする。評価されない。嫌われることなど)に対して臆病である D 強欲である。 誰もがそういう部分と、人のために何かで役に立ちたい。目の前でおぼれている子供がいたら助けたいという善の部分を合わせ持っています。そういう人間が集まった組織をより良い方向に変化させていくためには、できるだけ善悪の判断基準を明確にしてゆくことと、一人ひとりが学びを通して気づき、自らコントロールできるようにしてゆくことが必要です。 人間は自分の心で賛同できれば(理屈だけでなく心で「正しい」と思えたら)、正しい行動を起こします。そういう仲間を増やし、時代の変化に対応できる美しく鋭い機能を発揮できる力を楽しく身につけてゆきましよう。それが自分たちのいる大宝が勝ち残ってゆく道です。みなさんの力を貸してください。 |