塾生発表

テーマ「小さな気づきを実践に活かす」

Mグループ 中川支店  K S 

 最近、自分がやっていることに対して「嫌だなぁ」と思うことがある。
担当業務のリーダーとして人に注意する時も、相手のことを考えるより、自分が支店長に怒られないようにすることが先だった。自分でもこのままではいけないと思いながら同じ事を繰り返し、メンバーとの距離が開き孤立してしまってから、「うまくいかない」と一人で悩んでいた。
 今まで人を好きになることがほとんど無かった自分に好きな人が出来、相手を思いやることが少しできるようになった。今まで自分の都合で人にあたりちらし迷惑をかけてきたことを恥ずかしく思う。今は相手のことを考えてから言うようにしている。
 それにより氣づきがあった。以前人から指摘を受けると、「うん、分かっている。直す直す。」が私の口癖だった。自分で分かったつもりでいるだけなので、結局同じことを繰り返していた。自分が素直に受け入れなければ、変化することは出来ない。私のことを考え厳しい指摘をしてくれた人に、失礼なことをしてしまったと反省している。
 学生時代から時間にルーズで、入社当時は遅刻も多かった。「時間にルーズな人は何に対してもルーズだ。」と叱られても、「まぁ、いいだろう」と思っていた。子供の頃、父は厳しかったが母は甘く、何でも許してくれ、困った時はいつも助けてくれた。大人になっても誰かが何とかしてくれることを期待し、人に甘え助けてもらっているのに、自分で出来たと勘違いしていた。
 そんな私を物流フェステバルの会場管理部長に選び、氣づきの機会を与えてくれた実行委員長の三輪さん(以前、中川支店。現在は本社所属)の愛情に感謝している。おかげで自分ひとりでは生きてゆけないこと、リーダーとして自分が「氣」を出さなければ、周囲がまとまらないことなどを学んだ。これからも自分で尻をたたき成長していく。
[この日の発表者]
Iグループ黒川支店 加藤博之さん
Oグループ岡崎支店 川上勝信さん


伊藤塾長のお話

 氣づくか氣づかないかで人生が変わる 

 「氣づき」は変化、成長、改善、変革をするための原点(スタート)です。

今のままの自分でよしとすれば、氣づくことはありません。氣づくことを諦めた時の年齢で、自分の人間としての成長は止まってしまうのです。私は今年60歳になりますが、少しでももの事が分りたいと思い、本を読んだりものを考えたりして、人間としてのレベルを上げるための勉強をし続けています。学ばないということは、自分の人生を捨てることなのです。
 氣づきは自分の人生を振り返る「内観」と、外部からの刺激「外観」との組み合わせによって深まります。ただし、同じ現象を見ても「あなたは元気だね」という人もいれば、「あなたは野蛮だね」という人もいます。人間は誉められる方が心地よいのですが、自分自身の内面に氣づくためには、厳しくても正しい刺激を求めないてゆくことが必要です。
 氣づくことは辛いこと
 自分にとって大切だと思っていても、氣づくことを嫌がるのはなぜでしょうか。それは自分自身にとって痛感じることが多いからです。また、少し氣づき始めると、氣づいていない人の未熟さ(今まで見えなかった個人や組織の弱点や矛盾)が氣になって仕方ありません。
 そして、自分も含め人間のドロドロした部分が浮かび上がって感じられるのです。これらは理屈だけでは何ともならない部分であり、それが嫌で考えることから逃げてしまう場合もあります。それらを自分でコントロールしてゆくために必要なものが「理性」です。学び訓練しなければ身につきません。
 氣づきによって得られるもの
@ 氣づきが多くなればなるほど自分が変化、成長し、結果として人間性が高まる
A 自分がなぜ生きるのかがはっきりしてくる
B 周りに対する配慮(目配り、氣配り、心配りなど)が出来るようになり、より良い人間関係ができる。
C 仕事に対する集中力が高くなる=事故を自ら起す確率が低くなる
D 人生が面白くなる
E つくった明るさではなく、本当の明るさが身に付く。心の底から楽しい、うれしいと思えるようになる。
 頭の中の棚おろし
 氣づきがないと、脳みそに「カス」だけをためこんで、「まともなこと」を考える余裕がなくなってしまいます。「カス」とは“阿呆さ”(もの事の本質が分からないこと)、自分さえよければいいという“強欲さ”そして“小心さ”です。
 この状態では人を信用できないため、氣づきを与えてくれる外観(第三者からの客観的な意見、刺激など)に対しても疑いを持ち、素直に受け入れ考えることをしません。
 「まともなこと」とは
● 愛情…自分以外の人の成長や幸せを願う考え方や行動
● 理性…もの事のつながり、背景、本質が分かる。
● 知性…善悪の判断が出来る
● 感性…瞬時に「美しい」「異常だ」等、愛情と理性と知性を統合して感じること。

 氣づくことによって「カス」を追い出し、「まともなこと」を取り入れる努力をすることが、その人の成長につながります。こうした努力を抜きにして、「何かいいことないかしら」と願っても、あり得ません。だから学んでいるのです。
 論理で学んだことを内観を通して氣づきにしていくと、顔つきや話し方まで変わります。今日発表した木畠さんも、体格はいいのですが今までどちらかと言うとボーッとした感じでした。今日の発表は、にこやかで堂々としていて、初めて「氣」を感じました。
 その人の言動には、その人が考えていることが素直に表れます。氣づきを増やし、頭の中につまっているものを入れ替えることによって、人生をもっと楽しくしていきましょう。 
 気温・湿度ともに高く過ごしにくい時期です。外部環境が厳しい上に業務が忙しいため、心身の疲労が蓄積します。十分に気をつけて仕事を行ってください。


和合塾夏の合宿

自分に氣づき、自分の芯棒を創る !!

 7月10日(土)・11日(日)

愛知県労働者研修センター(定光寺)

 今回の合宿は事前に、自分たちが生きてきた環境(人間関係、経済的・精神的な環境)と、それが自分の考え方や行動にどのような影響を与えているのかを振り返るという宿題が出されました。
 テーマに沿って行なわれた。夕食時のグループの出し物では、Eグループが見事1位に輝きました。その後、グループごとに宿題をもとに分散会が行なわれ、時間をかけて自分について語り合いました。
 子供のころからの人生を振り返り表に整理することで、今まで考えてこなかった大切な事に氣づくことが出来たり、それを仲間に話すことで、少し心が開放できた人など、様々でした。
 これからさらに自分に対する氣づきを深め、自分自身の考え方と行動の芯棒をつくり、人間として成長し人の役に立てる自分を目指し、共に学んでいきましょう。