成長した塾生発表

昨年12月の定例会で行った「一年で最も成長したと感じる塾生」投票、上位5名の方に発表していただきました。


23票 総務部主任  T T

 入社して10年間、指導を頂いても真面目に考えず、自分の我欲や力の無さを隠すことにエネルギーを使い身動きがとれなくなっていた。一昨年伊藤塾長にきっかけを頂き、自分を探り始めることが出来た。 それまで一生懸命やった事に対する周囲の反応が鈍いと責任転嫁し、不信感を持ってきたことも、自分に原因があると分かり腑に落ちた。目ざめの段階で安心し考えることを怠け、すぐに先祖返りしてしまう阿呆さを自覚し、考え行動することで「気づき」につなげていく。変化はしたがまだ自分のことだけ。相手に対するエネルギーを出せるようになりたい。自分の存在を実感できる一年にしていく。


17票 港支店 N Y

  今年度は小グループで和合塾に出席することを継続してきた。最初、強制的に出して意味があるのかと悩んだが、一人でも面白いと思える人がいたらいい。自分の都合で相手を図り判断してしまうことが、周りの人を不幸にしてしまうことに気づいた。

 全社と家庭の両立が出来ない理由は自分自身にあった。家で娘に「自己中心だね」と言われ、「家ぐらいエゴを出させてくれ」と身勝手なことを言っていた頃は、会社の愚痴ばかり言っていた。専務と出会い学び始め自分が少しずつ変化すると、周囲の人も支店も変わり始めた。昨年文化祭の実行委員長を終え、目標を見失っていたが、今回新しい業務リーダーのチャンスを頂いた。人との出会いや自分を鍛えるチャンスに感謝し、仲間と共に学ぶことで、人生の真の楽しさを一緒に味わっていきたい。


伊藤専務のまとめ

今回の「阿呆な自分と向かい合い、心から笑い合える仲間をつくる」は、人間にとって最も難しいテーマです。

 他人が死ぬことは知っていても、自分が死ぬということが分からないことが人間の最大の強欲さです。だからこそ「そのうち」と言いながら、人生を真面目に考えることなく食べていくためにだけに時間を費やします。それでは獣と同じです。

 「老少不定」とは死に年齢は関係ないということです。能力も同じです。年齢を重ねればもの事が分かるわけではありません。「自分の命が有言である」と考え、今が大事だと分かった人は、どんな事でも一生懸命になります。もの事が分からないと自分の阿呆さに気づくことも出来ません。「私は阿呆ですから」と言いながら学ばない人は単なる格好づけです。自分が知っていること、分かることがほんのわずかだと気づき、人間として成長したいと思うから、本気で学び始めるのです。

 犬や猫も嬉しそうな表情をすることはありますが、心から笑うことが出来るのは人間だけです。また、笑いはその人の人間としてのレベルやその時の精神状態を表します。マイナスのことをした後でニタッとするのは防御の笑いです。

 このままの状態が続くと日本の財政は破綻すると、政府自身が明言するほど私たちを取り巻く環境は変化しています。この先ボーッとしていて良くなることはありません。

 その中で大宝の売上や利益を上げていくのは至難の業です。私たち自身が智恵を絞り、より安全性を高め、汗を流していかなければ、辛くて暗い人生を歩むことになります。

 この世に「楽して楽しいこと」はありません。他者からの刺激を受け入れていくこと、自分を掘り下げ変化させていくことは痛みを伴い、時間もかかりますが、自分の人生を面白くしていく力を身につけるために、今という時間を大切にし、お互いに一生懸命努力していきましょう。