9月和合塾定例会 9月6日(水)

テーマ

0次元から脱出するために、考え実践していること


Cグループ 西春支店 丹下 知彦

 「人間が怖い」と、学生時代も就職してからも、人との接点を避けてきた。

そのことに疑問を持つ二年前まで、会社では自分の弱みを人に見せまいと、出来るだけ目立たないようにしていた。逆に自信のない態度で、弱々しさをアピールしていることにも氣づかなかった。

「家庭は別」と思っていたが、出し方は違っても基本的には同じこと。不都合になると親や妻を威圧しごまかしていた。

  経営学習会で学び、会社でも家庭でも環境を作っているのは自分だと知った。これまで相手を上辺だけで判断し避け、親や先生、上司のせいにしてきたが、自分の思い込みや逃げであったと認めることが出来た。

  変に遠慮したり、迎合したりして、業務上のことも頼むことが出来ず、一人で抱え込み、勉強会に出席できない状態を続けてきたのはなぜか考えた。子供の頃、怖い存在であった父がいつも、「会社で自分をさらけ出すものではない」と言っていた。幼心に「人も会社も怖い」と、感じていたのだと思う。

  しかし、大宝は違った。ありのままの自分を出しても受け止めてくれる上司や仲間がいる。ありがたいと思えると勇氣も湧いてくる。最近は家でも妻や両親と、自分が氣づいたことを話せるようになった。

  「今の自分を何とかしたい」と、考え方が変わると、業務に対する姿勢も人間関係も変わってきた。学んでいることを日常とつなげると、考える材料はいっぱいある。今後も学び色々な人、色々な考え方に触れ、考え続けることで、分かること、出来ることの幅を広げてゆく。 


Eグループ 中川支店  坂本 勇一

 支店でみんなが「自分は0次元だ」と言っていたが、私は違うと思っていた。理由は、人に言われたことはやっているし、人に甘えたり迷惑をかけることはない。安全委員として人の役に立っている。ちゃんと自分の考えを持っているから。

  しかし、本当にそうかと考えてみると、少しだけやって「やっている」と思っているだけ。迷惑をかけても氣づかず、許容されているだけ。「自分の考えが一番」と、人の話を聞かないのは独り善がり・・・。嫌でも自分は0次元だと認めざるを得なかった。感情だけでものを言い、感謝しているのに照れ臭くて言えない。欠点を指摘されても、直そうと思うだけで同じ事を繰り返してしまう。そんな自分が本当に嫌になった。

  これまでのように逃げてばかりいては何も変わらない。自分で考え行動することは難しいが、逃げずにやれば何かが変わり、新たな疑問が湧いてくる。努力し続け、人の氣持ちが分かる、あったかい人間になりたい。次元を上げ、人の役に立ち、「となりのお兄さん」になりたい。 


第一いれんび 犬山支店 中尾 繁人

  テーマについて考え、「俺は0次元じゃない」と思うのも、自分のおごりだと氣づいた。ものが分からない自分を見透かされるのが嫌で、支店での安全活動も、「やれよ」と力づくで押しつけてきた。ものが分かる努力をせず、知ったかぶりをしていることが、大好きな伊藤塾長を裏切っているのだと思うと心が痛い。

  最近、楽しいと思うことは、若い宮地安全委員から指摘を受けること。

先日は「長距離から帰ってくる時の顔が怖い」と言われた。社歴は30年を越え、長年「俺は中尾だ」と力み、指摘をされない、させない関係を作ってきた。そうやって自ら心を開かず、相手の心も開けない自分は、0次元にいるのだと思った。

  支店ではよく、「先輩面をして威張るのではなく、先輩らしいこと、ベテランらしいことをしよう」と言ってきた。そういう私も業務面で教えることは出来るが、生き方考え方の指導は出来ず、多くの仲間が大宝を去っていった。ものが分からないというのは淋しいこと。 

 今は支店の枠を越え、色々な人と接点を持つことが楽しい。50歳半ばを過ぎ、体力的には辛い時がある。自分の否を認めなければと思っても、拒絶反応を起こしてしまう弱さもある。しかし、学びにも安全活動にも年齢は関係ない。少しずつでも変化を感じられるよう努力してゆく。


◇ 9月7日、62回目のお誕生日を迎えられる伊藤塾長に、日頃のご指導に対する感謝の氣持ちとお祝いの氣持ちを込め、グループリーダーによるお祝いの言葉と、運営のHグループの皆さんによる手作りのプレゼント、花束が贈られました。

伊藤塾長のまとめ

  お祝いありがとう。

還暦を迎えた時から、誕生日に歳を一つずつ取ってゆくことにしましたので、明日で58歳です。肉体的にはキツイ年齢ですが、精神的には弾力性が持てるよう、今後も努力してゆきます。

 1 次元は化け物

  思考の次元について勉強し、自分が0次元であると認め、謙虚に学ぶ人は少しずつ変化します。どうしても認めたくない人は、「自分が0次元だと認めることが恥ずかしいのではなく、日常的に甘え、独り善がり、自己中心の考え方、行動をしていることが分からないことの方が恥ずかしい」と、見方を変えてみて下さい。

  もう少し丁寧にお話しすると、次元の問題は、「0か1か」というコンピューターの演算の世界とは違い、一次元に到達するまでの、0から0.99・・・次元までを「0次元台」と言います。0.999次元は、限りなく一次元に近く、本人も「0次元を脱した」と錯覚しやすいのですが、厳密に言えば違います。外部からの働きかけによって、0.9次元まで来ることはできるのですが、自分で考え努力しないと、すぐにまた純正0次元に戻ってしまうからです。

  次元は化け物です。分かるか分からないかで、人生がまるで変わってしまいます。一次元台に行かず、0次元で足踏みをしていると、年齢と共にますます次元が下がってゆくという怖さを、真面目に考えて下さい。

2 人生を面白くするのは次元の高さ 

 0次元台の人は、「自分は良い人」と思い込んでいるため、もの事が上手くいかなくても他者や環境のせいにしてしまい、自分に対する疑問を持ちにくいという難点があります。そして、疑問と似て非なる「猜疑心」にさいなまれてゆきます。その時の行動パターンは次の通りです。

@ 自分に疑問を持たないと、謙虚になれないため、人の指摘や意見を素直に聴かない

A 「そんなこと出来る訳がない」と、考える前に排除する

B 行動に移さない

C 次元は変わらない

D 変化、成長しない

E 時間の経過と共に次元は下がる

F 地獄行きの特急列車に乗る 

 こうして「幸せになりたい」と言 いながら、自ら不幸になる道を選んでしまいます。いくら上辺でごまかし迎合しても、会社で評価されず、家庭も上手くいきません。

 この3年間、育成歴を通し自分自身を掘り下げる、「自分探しの旅」を続けてきました。これは目的ではなく、自分が0次元台の人間だということを認識するための手段なのです。

 精神の柔軟性は年齢には関係ありません。では何が違うのかというと「次元」です。私たちは0次元と自分の最高の次元の間を、行ったり来たりしています。その幅が精神の柔軟性であり、次元が高ければ高いほど、柔軟性があるということです。

 いくら論理で学んでも、自分で実践しなければ、次元は上がりません。次元が上がれば、業務に対する考え方もやり方も、人間関係も変わってきます。自分の人生が大事で、面白くしようと思ったら、よく考え実践して下さい。

 


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