7年前、派遣社員として家の近くの工場で働いていた。
もっと責任のある仕事がしたいと思い「社員にして欲しい」と申し出たが、前例がないと断られ会社を辞めた。その後、一人で2ヶ月ほど台湾やタイに行き、旅を続けた。お金がなくなり帰国した後、早く仕事を見つけようと、たまたま見つけた大宝に入社した。
4年ぐらいは目立たず叱られないよう、言われたことだけやっていたが、ある年の運動会で、お世話になっている先輩が総括になり、そばで話を聞き練習しているうちに夢中になった。
当日、表彰式で「パフォーマンス3位、西春支店!」と言われた瞬間、熱いものを感じ涙が出た。仲間との接点がおもしろくなったが、妻や子供と一緒に過ごす時間が大事だと思い、安全委員とは距離を置き、陰で愚痴を言い氣を紛らわしていた。
「安全委員をやってみないか」と言われ、「編集委員ならいいですよ」と答え引き受けたが、日ごろの関係がないと原稿を依頼し一緒に考えることができない。
そう思って接するうちに相手からも話しかけられるようになり、安全委員と話をするうちに「自分も力になりたい。やってみたい」と思うようになった。
学校の成績は中の上。自分なりに「できている。通用する」と思っていたが、支店で事故が起きても何もできない。もの事が分かるようになりたいと思い和合塾に入塾した。グループ会議で他支店のメンバーと有意義な時間を過ごし、指摘も素直に聞くことができた。
私は小心者で、ものが分からないことを人に知られるのが怖くて、人前であまり話さなかった。自分の弱さを克服するために、育成歴(自分が育った環境)について考えてみた。酒好きの父は何度も「もう酒はやめる」と言いながら飲み続け、身体を壊し入退院を繰り返していた。
亡くなる半年前「田舎へ行って農業をやりたい」と言っていたが、母も姉も相手にしなかった。最近になって、親も人間、弱さがあって当たり前。酒を飲むことで現実から目を背けていたのではないかと思えるようになった。
私は面倒見の良い姉と息子に甘い母の下で育ち、周りの人がやってくれて当たり前、思い通りにならないと黙り込むという態度をとってきた。
会社に入ってからも意見が違う人と、よく口論になった。そんな私に聞く耳を持たせてくれたのが和合塾だった。
今は人とつながっている、前よりも自分が変化しているという実感がありうれしい。出来ない理由を探す前に、どうしたら出来るのか、楽しくなるかを考え継続していく。
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