自分を知る学びの文化は大宝の宝
4日後の文化祭に向け、各支店とも思い切り楽しんでいると思います。
司会を務める犬山支店の大澤さんと西春支店の長谷川さんは、事前に各支店を訪問し、実際に練習の様子を見ているそうです。
松下実行委員長がプログラム挨拶で「大宝には自分自身を知る、学びの文化がある」と語っています。
彼自身が21年勤め、理解し納得しているから言える言葉です。大宝の文化度は、大宝で働く社員の人間性の高さに比例します。
そして文化祭は学芸会ではなく、人間性を表現する場です。毎年私は、皆さんが学んで少しでも人間性が高くなっていないかと期待しながら見ています。
この1年で、実際に人間性を図るもの差しの一つである「善玉の人間性=愛情、理性、知性、感性」は高まりましたか?
学ぶ縁がなければ大半の人が餓鬼のままです。大宝で知り合い学ぶ機会があったから、少し人間になることが出来るのです。
自分を知る学びの文化があったから、今の自分があるのだと分かり、次の人にきちんと伝えることが、大宝の文化を伝承してゆくことです。
会社が儲からない時期には、「文化祭をやめて、一人1万円ずつもらった方がいい」という意見もありました。
もし、今お話したような大宝の文化が途切れても良いと思えば、そうすればいいと思います。
学びの文化を創り維持するためには、多くの時間とエネルギーが必要です。
しかし、壊れるのは一瞬です。みなさんには文化を守ることが出来る人間になって欲しいと願っています。
本当に成長したいという人は、「こういう人間になる」「コウモリ(目先の損得で、あっちについたり、こっちについたりすること)はやめる」など、自分の目標を言い切ります。
「思います」で終わり、言い切れない人は、何十年経っても成長しません。
半歩でも踏み出すためには、身近なこと(「月に一冊本を読みます」「塾のレポートは必ず出します」)から、言い切るようにしましょう。
組織を腐らせるケチと『しょうがない』
景気低迷が続き、物流業界においても格差が大きくなってゆく時代、我々が生き残ってゆくためには、仲良くすることが大事だと、色々な場で話をしています。
互いに心を通じ合わせ、協力し合うことが出来ない第一の原因は、お互いが持っているエゴです。
言葉には出さなくても、「自分だけが損をしているのではないか」というケチな根性を持っているので、仲良く出来ず、組織全体がうまくいかないのです。
特に肩書きを持った人が、そう思えば思うほど、うまく行きません。100%なくすことは出来ませんが、氣づいて小さくしてゆきましょう。
良い組織にするため次に大事なことは、他人のミスや不正を見た時に「しょうがない」と見逃さず、勇氣をもって指摘し、正すことです。
勇氣とはケンカすることではなく、何かを「やる」という精神のエネルギーです。
指摘すれば摩擦が起きることもありますが、それは良いことです。その摩擦が自分や組織にとって正しいか考えてみればいいのです。自分に一定の自信がなければ、摩擦を起こすような指摘をすることは出来ません。
自分がリーダー(指揮官)になりたいのならば、もの事が分かる次元を高めることが第一です。
会社や上司に対して「無能である」「役に立たない」と憤ることは、難しくありません。
自分が多少ものを知っていると恰好をつけるために会社や上司の悪口を言う人もいます。
居酒屋で酒を飲みながら文句を言うことも時には必要ですが、場所と相手をわきまえることが必要です。
また、会社がいつも平穏無事で上昇気流に乗っている訳ではないので、会社を救う役割も社員は持っているということを知ることが大切です。
会社や上司に対し憤る人は、少し勉強し自分の芯棒を持つと、会社を救う人間になる可能性があります。
並大抵のことではありませんが、楽しんでやる努力をしなければ、何も出来ません。文化祭も意味を知った上で、より深い楽しみを追求してください。
「賢者は自らの愚を知り、愚者は自らの愚を知らず」とは、賢い人(もの事が分かる人)は、自分の阿呆さをたくさん知っている、だから分からないことを素直に他人に聞ける。
逆にものが分からないと、自分の考えが間違っていてもそれを正しいものとこだわりとらわれ、考え直すことをしないという意味です。
様々な条件はありますが、事故を起こす人は愚者です。
会社や運転に少し慣れ、横着をして事故を起こし、自分に落ち度があってもごまかそうとします。
25年前は、なぜこんな安易な事故を起こしたのかと聞かれ、「電柱が動いて来ました」と言った人がいました。その人は典型的な愚者です。
私の雅号は「愚山虫」です。いつまでたっても馬鹿の山で蠢いている虫。
60半ばを過ぎても阿呆で、もの事が分からずうろうろしているという意味です。
いつまで経っても中途半端ですが、私が学ぶのは、もの事が分かり、少しでも自分の馬鹿さ加減を知るためです。
自分が愚者であることが分からないから、一所懸命自分を飾り恰好をつけます。本氣になって学んだら、若干でも変化し、自分の愚を知ることができます。
そういうことを考えながら新しい一年を迎えてください。
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