新年会でみなさんに贈ったメッセージに対するレポートを読むと、どれも立派な内容です。メッセージから何かを感じ、考え、論理的には、みんないいところまで来るのです。それを自分の変化、成長につなげてゆくためのには、左図のような努力が必要です。

「眠り」とは、闇の世界が真っ暗で何も見えないのと同じで、もの事が分からないため、周りが見えない状態です。
しかし、物理的にはものが見えて、日常の業務も出来るため、「私は正しい。私は善人だ」と思い込んでいます。これを 迷妄の世界 と言います。
それでも、自分の心が瞬間的に動く言葉や文章、行動に出合った時、ハッとして「目ざめる」ことがあり、その時は素直な心になります。
「素直さ」を、上位者に対しどんなことでも従順になることだと勘違いしている人がいますが、本当の「素直さ」とは、自分の小さな我欲、小さな面子、小さな意地、そして今までの自分の狭い知識と経験からなる先入観にとらわれないことです。それらにとらわれていると、目ざめることすら難しくなります。
多くの人がそこで止まり、変化につなげることが出来ないのは、お互いに人間の弱さを持っているため、瞬間的な目ざめを体験すると、その状況で「もの事が分かった」と錯覚してしまうからです。
自分の本当の力量を見誤り、自分の未熟さ、阿呆さ、強欲さについて、それ以上深く考え目を向けなくなるため、自分では「分かった」と思っているのに、もの事がうまくいかず「他人は自分を分かってくれない」と愚痴り、被害者となり、思考停止となります。
そうなるとその場を逃げ出すか、訳も分からずこわがるより仕方ありません。そして、また「眠り」の世界に戻ってしまいます。こうして「眠り」と「目ざめ」の間を行ったり来たりする状態を 水すまし
と言います。
それを繰り返す中で信頼は小さくなり、人間関係は崩れていきます。
人間が変化成長してゆくためには、「目ざめ」を「氣づき」にしなければなりません。そのためには、目ざめたことについて考えて、考えて、考え続けることが必要です。そうすることで論理的に分かる度合が高まってきます。
「氣づき」を「意識」に変えてゆく=自分の心の中に落とし込んで行くためには、それを実践する勇氣と継続が必要です。そこまで行かなければ、その人の「意」ではありません。
「間違ったことを見たら指摘することが必要」と分かっていても、「人から嫌われたくない」という理由で実践できなければ、目ざめの段階で終わっているのです。だから間違ったこと、おかしいことを見て叱れる人はえらいのです。
「意識」したことを継続し、多少の困難があってもやり続ける中で、自分の魂の中に落とし込み自分の血肉になって行きます。それを「自覚」と言います。
メッセージには、みなさんが「眠り」から「目ざめ」に行くための刺激にして欲しいという私の願いがこめられています。目ざめた後は、本人の努力次第です。
定例会やグループ会議を活かし継続して考え、やり続けて下さい。
それが出来るとグループ活動も楽しくなります。だからこそリーダーは、メンバーの三倍から五倍の学びが必要なのです。
自分の「意」がないということは、自分の主体がないということです。そういう人が何十人集まっても、目標を達成できる強い組織にはなりません。
大宝はおもしろい会社ですが、生かすも殺すも社員次第です。
自ら学び、考え、実践し続け、自分の周りに一人でも前向きな影響を与えられる、より人間らしい生き方を目ざしてゆきましょう。
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